このひと坂のヒト・U.G.サトーさん


――― U.G.さんはいつから絵を描くようになったのですか?


子どもの頃から絵を描くことに親しんできたね。
美術の専門の大学に進んで絵画を専攻していたんだけど、体育の水泳の単位が取れず、おまけに当時好きだった音楽科の女の子に振られて(笑)、中退してディスプレイの会社で1年くらい働いた。
けれど、絵画と(空間)デザインは全然違ってチンプンカンプンでね。
空間がわからない。それで会社を辞めて桑沢デザイン研究所でもう一度デザイン全般を勉強しなおしたんだ。
卒業してすぐ、銀座の古いデザイン会社に入って6〜7年勤めたのだけど、そこで主にやっていたのは、パッケージ・デザインだった。
桑沢デザイン研究所の造形教育の中でも、紙を折ったり切ったりするのが好きだったから、紙一枚を使ってワンタッチで作れる・・・という実用的なコンストラクションに凝りまくっていた。
だから、僕の最初の個展はパッケージの個展だった。
でも社長に「グラフィックが弱い」といわれて(笑)。
その後、本腰を入れてグラフィックに力を入れた。
そんな折、本でフランスのポスター作家・サビニャック作の豚が輪切りなったハムのポスターをみて、それがすごく面白くて感銘を受けてね。
僕もこんな風にユーモアと風刺のきいたものを作りたいと思って、だんだんポスターにのめりこんでいった。
最初は思うように描けなかったけれど、酒も女も忘れて毎日会社から帰宅するなりイラストを描いて、描いては捨てをくりかえして・・・1年間準備、銀座でポスターの個展を開いたんだ。
そしたら意外に人気で、グラフィックの雑誌にカラーで特集されたりしてね。
当時、僕みたいな絵を描く人がいなかったんだろうな。
これが今の世界のはじまりだね。
「こういう発想はない」と評判を呼び、国際ビエンナーレなどの世界の展覧会へ出展するようになって、海外での活動も増えていき、作品と名前が知れるようになったんだ。

「自然はどこへ行くのだろうか」
ポスター 103cm x 73cm 1993

――― U.G.さんの作品にはいつも、反戦や平和、自然保護といった一貫したテーマを感じますが、原点はどこにあるのですか?


子供の頃、戦争(第二次大戦)が激しくなって1年半、田舎へ集団疎開したんだけど、そのたった1年半の体験が今の僕の発想の原点になっている。

夕焼けをバックに浮かぶ木のシルエットに動物の姿や色んな形を見つけたこと、早春の小川に足を突っ込んだら意外にぬるんでいて、馥郁たる大気に包み込まれた気分になったこと・・・都会人だった僕は、田んぼや畑で体験した自然の様々な姿に、知らぬ間に魅せられてね。
でもそうやってのうのうと暮らしている間も、東京では街が焼け、いとこの兄弟をはじめたくさんの人が亡くなり、他の都市には原爆が落とされたりしていた― そんなところから、単に自然を賛美するだけではなく、そこから生まれたイマジネーションを発展させて、戦争を憎み、核兵器に反対するというテーマが生まれたんだ。

「インド核実験反対」
ポスター 1998年5月
シルクスクリーン 175×118cm
例えば、これはインドの核実験への抗議ポスターなんだけど、実験の行なわれた1998年 5月11日は、インドではお釈迦様の入滅の日と聞いた。仏教の生まれた国が、よりによってこの日に核実験だなんてとんでもない!腹が立ってね。お釈迦様を逆さにしてきのこ雲(原爆の煙)に見立てて抗議したんだ。これは僕自身傑作だと思っている。

地球は今、環境破壊や
温暖化で蝕まれている。

でも、この角度から見れば、
何とかその姿を留めている。
「蝕まれた箱」 立体作品
こういったテーマは、グラフィックだけではなく、立体作品をつくることにも発展していった。
自分の作品を作るためには、自分のアイデンティティを探さなければならない。
僕の場合は田舎で生活した子供時代にさかのぼり、発見したというわけだ。


――― 作品のモチーフが子供の頃に見た日本の原風景、とは意外でした!


「U.G.サトーの進化」
ポスター
73×103cm シルクスクリーン

もちろん、単なる面白さだけで作品を作ることもあるよ。
例えば、自分を風刺する、というのもある。このハイヒールのポスターなんかそうだね(笑)
自分も風刺できる精神を持たなければ、客観的な見方は出来ないからね。

→ 次のページへ