◎ まずは、月並みですが生い立ちからうかがいましょうか。
身上調書みたいですね(笑)。代々木上原で生まれて、そのあと移った浜田山に小学校6年生まで居りました。その後に母方の祖父母がいた市川に移ったんです。親父はいわゆる清掃業で、小田急沿線の信号所の掃除を一手に引き受けるような会社をやっていたものですから、小学校1、2年の頃から小田急に乗って親父の仕事を見に行ったものです。だから最初は車掌になりたかったんですよ。
◎ それで落語との出会いは、いつごろですか。
私の子供の頃は、落語よりもお笑い、漫才ブームの全盛期でした。ところが中学で落語の好きな先生に出会うんです。学校にもクラブ、これは自由参加の部活ではなく、生徒全員が必修のクラブがあって、そこに入っちゃったんです。それで僕も中学一年で初めて鈴本(演芸場)に行きはじめました。

◎ 初めての寄席ですね。そのころのことは。
おぼえてますよ。トリが(柳家)小さん師匠でした。「あ、みそ汁のお爺さんだっ」てね。最初はテレビで観かける噺家さんを追いかけてましたが、だんだん噺の筋で選んで行くように、聴き方が変わっていきました。
◎ 師匠の噺には江戸前の感じがしますが、影響を受けた噺家さんはいらっしゃいますか。
うちの師匠(古今亭圓菊)は別として、やっぱり志ん朝師匠ですかね。あの師匠はメクリが返った瞬間から、客席の様子が違うんですね。不思議ですねぇ、メクリというのはね。返した途端にザワザワッと客席が唸るというか、そしてスッと出てきた時の格好良さったらないじゃないですか。
◎ さて、プロを目指したのはいつごろですか。
中学三年の時にはもう(噺家に)なりてぇなあ、なんて思っていました。三者面談てぇのがあったんですが、そこで先生が「お母さん、この子を噺家にしてやってください」と言いだして。お袋が泣きましてね。それでも高校だけは出ておかないとツブシが利かないから、というので高校は3年間通ったんです。勉強もせずに寄席通いですがね。もちろん出る時にはもうプロになるつもりで。それでも大学は2校ばかり受けたんですが全滅。お袋からは「働くか上の学校行くか、どっちかにして頂戴」と言われて、ここで引き下がるのもなにだし、決めちゃわないとズルズル行きそうだったので、師匠につないでもらうために、いきなり小島貞二さんのところに行っちゃったんです。

◎ 寄席演芸評論家の小島さんですね。志ん生師匠の本も書いていらっしゃる。
ええ、貞二さんとは同じ市内なんですよ。さらにこんな面白いご縁もありました。中学の頃に市長や市議を交えて「模擬議会」という催しがあって、そこで私は「市川市内における古典芸能の実施状況について」なんて質問をしましてね。これがきっかけでなんと市長が落語のテープを貸してくれました。それがまた柳好、可楽、小さんと渋いのが揃ってまして。その市長と小島貞二さんとも知り合いだったんです。ともかく貞二さん噺家になりたいからと話し、どこ行きたいの、というので圓菊師匠のところへと。寄席で拝見していて、圓菊師匠の噺になんとなく暖かみのようなものを感じたんですね。志ん朝師匠もいいんですが、同じ古今亭でもちょっと違います。貞二さんは本を書くので志ん生師匠の家に出入りしていましたから、圓菊師匠のことも良く知っていて、もうあとは電話一本ですよ。
◎ 弟子入りというと住み込みですか。
いえ、(圓菊師匠は)ウチにはおいておく余裕はないから、という理由で住み込みはさせないんです。だからあの手この手で交通費を安く上げて師匠の家や寄席へと通いました。もう毎日ですよ。師匠が「ウチは休みはないよ、他は知らないけれどね」って言いましてね。それでも稽古はなかなかしてくれませんでした。稽古をお願いするには、まず師匠に暇があって、自分が師匠の家の用事を全部済ませて、さらに師匠の機嫌がいい時でないと。機嫌悪いと「十年早い、バカヤロウ」なんて言われてね。なかなか稽古つけてくれませんでしたね。だから(前座として)寄席に入っているのに、持ちネタが無いものだからいつまでたっても出られないわけです。でも下から入ってくる子は、みんな噺を2、3本持って入ってきますから、すごく悔しい思いをしたことがありますね。
◎ 初高座ではなにを演ったんですか。
あれは平成3年の10月10日。新宿の末広亭でした。はっきり憶えているのには理由があるんです。この頃は「子ほめ」をもう高座でやっていいことになっていたんですが、わたしは夜の部が多かったので、せっかく「今日あがって(演って)いいよ」と言われても、ネタ帳を見ると大概昼の部で演られちゃってるんですね。「あにさん、だめだぁ。もう出てる」「そうかぁ。じゃあしょうがないね」この繰り返しです。ところがその10月10日。体育の日でお休み。お休みの日というのはお客様を昼夜入れ替えるんですよ。するとこの日は私がトップバッターですから、なにを演ってもいいわけです。

◎ ようやく「子ほめ」であがれた訳ですね。
ええ、それで私が連絡したのか、たまたま来ていたのか忘れましたが、その中学の先生が来ているんですよ。嬉しいんですが、なにしろ初めてですから、最初のうちはトントンといってたんですが、途中でわかんなくなっちゃった。「あれぇ、なんだろうここは」と思った瞬間真っ白になっちゃいまして、まあなんとかサゲ(最後)まで漕ぎ着けました。下りてきたらある師匠が「久しぶりだよ、初高座でメロメロになっちまうお前みたいなの」と言われましたね。最近の前座は達者だから、初高座でも何年もやってるようにこなすからというわけです。「久しぶりだよ、大きくなれるかもしれねえよ」なんて言われて。
◎ その当時からお名前は「菊之丞」なんですか。
前座の頃から菊之丞です。私の本名は亮太郎なんで、最初の候補は「菊太郎」でした。ところが以前その名前で辞めちゃった奴がいるんです。だから兄弟子が「そりゃぁ師匠、まずいでしょ」と言うと「なら、こんな顔しているから、『菊之丞』なんてどうだ」「師匠、そりゃあいいですね」というわけで決定。ところが、だれ一人として「丞」の字が書けなかった(笑)。「下のテンテン四つだっけ?」「それは蒸発の『蒸』だよ」またいなくなっちゃう(笑)。でも、その時にこれは前座の名前じゃない、二つ目名前だよ、大事にしろと言われまして。ありがたかったですね。だから二つ目になった時にも変えませんでした。真打になる時には「名前変えると、手ぬぐいを染めなおすのにお金かかっちゃうから、そのままでいいよ」なんて言われて、そのままにしていますね(笑)。
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