
◎ お生まれは山形、天童だとか
そうですね。まだ長男が家を護り、次男三男は高校卒業したら外に出て、という時代でしたし、家の父親は東京に出て揉まれてこい、というタイプだったこともありました。同級生は地元にいるのが多いですけれども、私は東京へ出たんです。
◎ 東京での最初のお住いは?
上京して劇団に入ったこともあって、中野に住みました。事務所が新宿だったので行きやすいところ、ということで。劇団といっても小さなところで、制作の人間に酒飲んでいたところで知りあったんです。それが役者がトンズラして台本読みに人が足りないから頼むよ、というのがきっかけ。私は学生時代に体操をやっていたので、稽古場での柔軟体操を指導するようになって。そんなところから可愛がられて、いつのまにか立ち稽古に参加して…

◎ トンズラした役者はどうなりました?
これがまた帰ってこないんです(笑)。結局そのまま舞台に出ちゃったんですよ。もともと徒党を組むのが苦手なタイプで、体操とか水泳とかの個人競技をやってたんです。それと高校のころダスティン・ホフマンの「卒業」にショックを受けて、役者に興味を持ちました。ホフマンもそれほど背が高くない人なので、自分と投影してみたりしてね。あの映画はいろいろな意味で影響を受けました。音楽も良かったしねえ。
上京後にはホフマンの映画をたくさん観ました。なかでもレニー・ブルース(1974年/監督:ボブ・フォッシー)は衝撃でした。あれは“病めるアメリカ”を風刺する役どころで、それが物凄くかっこよくて、「私もああいった芸人になりたいな」と思ったものです。

◎ 最初に路上でなにかやったのは、歩行者天国での話だそうですが。
劇団は春と秋くらいしか公演が無い訳です。皆でアルバイトして舞台を創って。大変でも楽しいのだけどそれだけではダメだということで、役者連中が集まって始まったばかりの歩行者天国で紙芝居をやることにしたんです。昭和47年のころです。私自身には人前でしゃべることの度胸試しのようなつもりもあり、語りを担当して、内容も当時の公害問題を取り上げて「帰ってきた月光仮面、東京湾・公害に挑む!」などというのをやった訳です。そうしたら珍しがられてね。あの頃、新宿で大道芸的なことをやっていたのは私達と、すでに路上で踊っていて知られるようになっていたギリヤーク尼ヶ崎さんくらい。あとはパントマイム系の人がちらほら居ましたね。そうしたらいくつか取材が来まして。
◎ 注目を集めたと。
ええ、取材されたのがきっかけで、フジテレビの小川宏ショーに出ることになりました。東北の青年、歩行者天国で紙芝居に興ずる、といった内容でね。そこで同郷のケーシー高峰師匠に合いまして。面白いから遊びに来いというので、その日に行ってみたら師匠は居ないのだけど、スケジュール表を見たら全部埋まっている訳です。凄いなーとビックリしてね。師匠に付けば飯が食えるようになるかと思いまして、しばらく続けて通ってました。

事務所には道具や資料でいっぱい
◎ ケーシーさんはそれこそテレビやラジオに引っ張りだこでしたよね。
そうですよ。師匠は忙しくてなかなか帰ってこないけど、事務所の雰囲気になれようと思ってね。当時は築地でバイトしていたので昼過ぎに師匠の事務所に顔を出す、という毎日でした。だんだん師匠と話も出来るようになり、芸は盗むものだということを教えられました。そのうち紙芝居をスナックでやるようになったりしました。そこではちょっと色っぽい「大人の紙芝居」とかやって。ともかく私は訛りを直さないといけませんから、しゃべることがともかく修業なんです。だからいろいろな口上芸をするようになって、カラオケスナックでの司会を任されたりしました。まだ8トラックの時代ですよ。そこで司会の合間に「外郎(ういろう)売り」や早口言葉をやったり、お客さんが飽きるからガマの油をやったりし始めました。

◎ そろそろガマの登場ですね(笑)
やがて紙芝居でいろいろな催事やイベントに出ていると、そこでガマの油や南京玉すだれなどの芸人さんたちと一緒になることがあるんです。数人であちらこちら回る訳ですね。ある時、ガマの油の芸人さんが、ダブルブッキングしたらしくて、代役を私に頼んできたんです。「源さん、役者だったらガマ…できるよねぇ」「どうしたんですか?」「ちょっとダブルブッキングしちゃってさ、からだは2つ無いからねぇ」というので頼まれちゃった。見てもいましたし、衣装借りてやったわけですよ。冷や冷やしましたけど、他にも芸人さんがいたからなんとか乗り切りました。忘れもしない、柏の高島屋での物語です(笑)。その時のギャラが紙芝居より良くてね。これもまたビックリでした。

お仕事仲間の皆さん
◎ ガマの初任給にビックリ、ってことですね。
それで浅草で衣装を買い込んで、上野公園辺りへ行ってガマの修業を始めたんです。大きな声を出しましてね。「さぁさぁお立ち会い!」の一声をいかに大きく出すかが大事。大道芸ではマイクなんかないですから、そこが重要ですね。そうして「門前の小僧、習わぬ経を読む」と言う通り、一緒に仕事に出かける芸人さんたちがやっているのを見聞きして覚えるんです。芸事にも興味があるから劇団より面白くなるわけです。さらに坂本長利さんの「土佐源氏」とかの一人芝居というものに興味を持ちまして。そんな時期にガマの油に出会った…これも一人芝居のようなものでしょ。
その後、日本が景気のいい時代には大道芸の仕事も増えました。町おこしのイベントとか物産展とかに声がかかりまして。その時代にはほぼ全県に行ったはずですよ。頭の中に日本の鳥瞰図が全部はいってますよ(笑)。
| 次のページへ → |







