このひと坂のヒト・ジャグラー 松鶴家ぽんさん

◎ ついついPONTAさん、と呼んでしまうのですが、いまは松鶴家ぽん、さんなんですね。

ええ、今年の二月から、正式にそうなりました。数年前に松鶴家千とせ師匠に弟子入りしまして。いま師匠とは、一緒にラジオの番組もやらせてもらっています。

◎ では、ぽんさん。まさに芸達者なぽんさんなので今回非常に悩んだのですが、ジャグラーなのかマジシャンなのか、いったいどんな肩書きにすればいいんでしょう。

それがねえ(笑)僕はすごく中途半端な位置にいると思うんですよ。クラウンというのはジャグリング、マイム、マジック、風船芸…何でもできないといけないというのがある代わりに、どれか一つには決められない。一方で僕の目指すところはコメディアンなんですが、そう名乗るにはまだちょっとおこがましいと。だからいろいろ考えている今日この頃なんです。どうしましょう(笑)。

◎ この事務所に並んでいるいくつものトロフィーは、どこで貰ったんです?

これはマジシャンとしてのものですね。大会で優勝しちゃいました(笑)。

◎ じゃあ神楽坂との関わりに話を変えますが、もちろんここで生まれ育った、ということもありますが、PONTA改め松鶴家ぽんとしては、神楽坂まち飛びフェスタの「坂にお絵描き」でのパフォーマンスですね。ここで演じるとき、何か他とは違う雰囲気を感じることなどありませんか?

「坂に…」では2回ほど参加していますが、ここで演じてみて思うのは、なんだお客さんがみなさん暖かいことですね。他の場所のお祭りだと「何かやっているよ」って感じなんですが、ここは違うんです。自然と人が集まって来て楽しいですね。でも…申し訳ないんですが仕切りや段取りは割と悪いですねぇ(笑)。人がショーをやっている時に、すぐ横でマイク使って「只今よりー向こうのステージでー」なんて声張り上げちゃう。オイオイオイ、ってこともありました。会場整理しているはずの方も一緒に笑っていたりするから、目の前を自転車が通りすぎたりとかね。でもなんだか和んでいる、お客さんの感じが暖かい。不思議ですね。

◎ それ以外に街の行事に参加することはないんですか?

街に関係するイベントに参加するのはこれくらいですね。この辺りでは、僕がこういった活動をしていることをあまり知らないんじゃないですか?無名で有名ですから(笑)。近所の人はバンドマンだと思っているし、近所の毘沙門天さんで知り合いの芸人さんなんかが演じていたりする。僕じゃなくて(笑)。神楽坂も最近、賑わってますネ!こんなことしてるんで、イベントに呼んでくださ〜い♪

◎ 生まれも育ちも、ずっと神楽坂界隈でしょう。そういった意味でこの街は落ち着きますか。

やっぱり居心地はいいですね。 買い物に出たりするとだいたい何でも揃いますしね。それでもたまに歩くと、こんなに変わったのかっ、って驚くことがあります。例えば五十番の横の…本多横丁ね。久々に歩いたらすごく新しいお店が増えているじゃないですか。全く知らなかった!逆に昔からの店がどんどん無くなっているんですね。永井荷風の『断腸亭日乗』によく「田原屋でごはんを食べた」とか出てくるんですが、小さい頃、僕も親に連れて行ってもらってて、あそこも無くなってなんだか残念です。

◎ だいたい地元に暮らす人は、そこの飲食店にはあまり行かないものですしね。

ええ、でも最近、友人に誘われて神楽坂の飲み屋さんに出入りするようになりましたよ。電話がかかってくるんですよ。「例の店にいるから」って!

◎ そんなぽんさんがこの世界に入るきっかけは、サーカスのピエロ=クラウンの勉強をされたことからでしたよね。子供の頃から憧れていたとか?

いえいえ、そんなことはないです。ただ、高校の頃は役者になりたかったんですね、それも時代劇の方です。でもどうするかも分かりませんでしたし、別に演劇部に入っていた訳でもなかった。ただし、僕はもともと目立ちたがり屋で、他人と違うことをやりたい方ではありました。大学にも興味はあったものの何を勉強したいかが掴めなかった頃。確か1989年ですが、日本にクラウン・カレッジができまして、その学校説明会に出かけたんです。何か宴会芸の一つでも身に付けられればいいや、といった軽い気持ちで出かけたんです(笑)。そうしたらここでリングリングサーカスのクラウンを見てビックリしましてね。それもまずあの厚化粧に(笑)。大量のベビーパウダーでメイクを抑えるんで、とにかくパウダー臭い!ともかくあれが出会いでした。説明会でビデオを見せられたのですが、そこですごくたくさんのクラウンが登場するんです。楽しそうだな、いいなと思って。単純でしょ(笑)。

◎ その学校は一時期話題になりましたね。2年とか勉強するんですか?

僕たちは一期生でしたが、学校は4ヶ月で終わりなんです。最後にスチューデントショー、まあ卒業公演をやって終わる訳ですが、その後に花博(花と緑の博覧会)や都内の仕事に参加したんです。その時に素敵な出会いがありました!

◎ ちょっとドラマチックになってきましたね…ここ、ポイントですかね(笑)

そう、ここですよ(笑)。その時、アメリカから12人のクラウンがやって来たんです。その時彼らと一緒に仕事をしたのがすごい勉強になりました。別に教えてくれる訳ではないんですよ。でも彼らの振る舞いや行動を見ているだけで学べるんですね。すごくいい刺激やアドバイスを受けて…なかでもデパートで2週間ほど仕事をした時に一緒だったボブさんというクラウンが、よく僕を飲みに連れて行ってくれたり、可愛がってくれたんですよ。何年か前、ラスベガスでリングリングの同窓会があって、その時エレベーターでばったり再会したのですが、ちゃんと覚えていてくれて。感動しましたね。みんな仲間だからね、ってボブさんは言うんですよ。

◎ じゃあその時期に一気に腕を上げて…

いやまだまだ、その頃は何もできなくてね(笑)。団体でいっぺんに出て行って、交代に芸をするならいいのですが、1人だと3分持たない。レベル低かったですねえ。その後、原宿のホコ天でクラウンの格好で大道芸をしてましたね。できたのはディアブロと風船。それとちょっとしたマジック。だからお客さんが集まる頃に出し物が終わってしまうという(笑)。その後には本八幡(千葉県)にあったサーカスレストランの仕事を得て、3年ほどそこで演じてました。原則として日本人は入れてくれなかったのですが、頼み込んでオーディションしてもらいましてね。最後の公演では仲間を集めて火を吹いたりもしてね(笑)。