
バイオリン奏者のルネ・シュメーと ©宮城道雄記念館
◎ さて、一番の代表作「春の海」ですが、これはバイオリンと箏のための曲なんですか?
千葉:いえいえ、最初は箏と尺八のための曲として生れました。「箏と尺八」という組み合わせに今の人は疑問を持たないかもしれませんが、実は伝統的にはこんな組み合わせはなかったんです。ちなみに宮城はこの曲の前にもいくつかこの編成による作品を書いています。それに90パーセント以上に歌がある日本の音楽の中で、歌がないことも「春の海」の新しさです。さらに尺八のパートも作曲したのは宮城がはじめてです。西洋音楽の常識で考えると何でもないことですが、日本の伝統的な音楽では、箏のパートは箏を弾く人が作曲をするもので、尺八も含めて作曲する人はいませんでした。尺八は奏者が作りますが、基本的に三味線と同じ旋律なので、あえて作曲家はいなかったんですね。しかも宮城は元来三味線と同じ旋律を吹く尺八に、全く違うことをさせています。つまり「春の海」は箏と尺八の西洋音楽的な二重奏なんです。こういったことをしたのは宮城が最初なんです。

◎ 毎年こたつの中で何気なく聴いている曲ですが…すごく斬新だった訳ですね。
千葉:ですから最初はみんな聴いた人がビックリした訳です。その後、みんながこのスタイルでの曲を作ったので、今では伝統的なスタイルだと思われているでしょう。宮城が今の日本の音楽を作った人ということはそんなところにあるんです。「春の海」は歌会始のお題である「海辺の巌」にちなんで書かれた曲ですが、翌年の正月2日に放送での初演がありました。だからお正月のイメージが強いのだと思います。宮城もそこのところは意識したんでしょうし、現在でもお正月に演奏されるというのは間違いではないのです。ところが最初はそれほど評判にはならなかったんですね。それが昭和7年に来日したバイオリン奏者のルネ・シュメーとの出会いで大きく動きます。海外の音楽家が来日すると、日本の音楽を聴きたいと言われる訳ですが、それで宮城のところにも来て何曲か聴いてもらうと「春の海」が非常に気に入ったという。そこで楽譜があるかというと、これが五線譜であったんです。
◎ えっ?意外ですね。普通、箏や尺八の楽譜は五線譜ではないでしょう?
千葉:宮城は点字で作曲をするんですが、そのシステムは五線譜そのものなんです。だからそれを誰かが点字譜から五線譜にしていたんですね。それで彼女との演奏が大評判になり、ビクターがレコードにして日本・フランス・アメリカで発表して大ヒットになったわけです。

八十絃箏に向かって ©宮城道雄記念館
◎ この記念館の展示を見てもわかるのですが、普通の箏の弦を増やした十七絃。そしてさらに八十絃箏などの新しい楽器を生み出すなど、とても斬新かつ多彩な活動をされていたんですね。
千葉:十七絃箏はもうすっかり定着しましたね。実は大正から昭和初期にかけては(和洋折衷の)いろいろな新楽器が登場したのですが、定着したのは十七絃だけでしょうね。他にサイズの短い短箏とか大胡弓といったものを作り出しています。箏の音を大きくする試みもいろいろしていますね。また大正8年には第1回の音楽会を催しますが、その時も賛否両論で大きな話題になります。そのくらい、新しいことをやっていたんですね。
◎ そういった作曲、そして演奏活動の他にも、例えば東京芸術大学(当時は東京音楽学校)で教鞭をとるなど、さらにいろいろな活動をされていますね。
千葉:学校というものに通えなかった宮城が、芸大で教えるというのは非常に感慨深かったんだろうと思いますし、学生さんには少し特別な気持ちもあったようですね。ともかく何にでも熱心でしたし、才能が凄い人でしたから。教育方面でいうと箏と三絃の小曲集があります。これは今でも使われていますが、非常に完備された教則本ですね。多分バイエルやカイザーといった西洋楽器の教本を研究していたのでしょう。それからラジオでお箏のお稽古も放送しました。こうした放送による「○○のお稽古」といったプログロムを始めたのも宮城ですし、そのためのテキストも書いています。

◎ 現在「宮城道雄記念館」になっているこの場所は、宮城さんの晩年の居宅だったところだそうですが、放送局や学校へはどうやってお出かけされていたんでしょうか。
千葉:タクシーが多かったみたいですね。宮城喜代子さん(故人/宮城宗家・宮城会会長)をはじめ、誰かしらが連れて行っていたようですね。でも神楽坂界隈には良く出歩いていたようですよ。随筆にも夜店にでかけて行ったなどの話がありますし、今はなくなってしまった洋食の田原屋さんで食事をしたともいいますね。亡くなってすぐの(宮城会の)会報には、神楽坂でお世話になった人、床屋さんとか相馬屋さんなど町の人たちからの話も載っています。ですから神楽坂は想いの深い場所だったと思いますよ。
◎ この記念館はどんな活動をされているんでしょうか。
千葉:まず宮城道雄、そして地歌・箏曲・尺八に関する資料を集中的に集めています。特に06年に亡くなられた吉川英史先生の、日本に唯一ともいえる資料などを管理・整理し公開しています。ほかにはレクチャーコンサートや、秋のまち飛びフェスタへの参加もしています。宮城に関する展示も公開しています。

◎ お箏というと、昔は習い事の定番でもありましたが、今は減っていますね。
千葉:今でも主な大学に箏曲のクラブはあります。それに現在は義務教育の現場でも触れるようになりましたが、生徒さんもお箏は入りやすいようですね。それに上品なイメージもある。これは花柳界のイメージがあった三味線とは逆ですね。もっと音楽的な話をしますと、ピアノより確実に耳が良くなる楽器です。ピアノは調律されたものを叩けば音が出ます。でもお箏は自分で調弦しないといけないでしょう。それで非常に耳が良くなりますね。それと、お箏はある程度年齢が行った方でもできる楽器なんです。例えば60歳になった方がいきなりピアノで「エリーゼのために」を弾こうと思ってもほとんど不可能ですが、お箏で「六段」を弾くのは可能でしょう。誤解しないでほしいのですが、「六段」という曲が簡単なのではありません。ただ、自分の楽しみで弾く、というレベルであれば、60歳からはじめても弾けるんです。お箏は高いとか、すごく誤解されていると思います。ピアノに比べたらぜんぜんですよ。
◎ もっと気軽にお箏や箏曲に触れてほしいものですね。
千葉:いまどんどん海外に行きますが、出先で「日本の音楽家・作曲家」と聞かれるとすぐに答えられないのはおかしいと思います。宮城の最大の功績は、日本の伝統音楽に、西洋音楽の要素を取り入れて新しい音楽を作って行ったということですが、でも本人は新しいことをやっているという意識はないんです。宮城が言うには、筑紫箏を時代に合わせたのが八橋検校で、八橋検校の箏を江戸らしくしたのが山田検校だと。そして自分はそのお箏を自分の時代、大正昭和に合わせただけだということなんです。いまならCDも手に入りやすいですから、宮城自身の演奏も聴くことができますし、その他の演奏家による演奏も聴くことができます。これらを聴き比べてみるのも、とても興味深く、楽しみなことだと思います。
有り難うございました。
取材・文・写真/渡部晋也
宮城道雄記念館


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| 開館日時 | : | 水・木・金・土曜日 |
| 午前10時~午後4時30分(入館は4時まで) | ||
| 休館日 | : | 日・月・火曜日・祝日。その他、年末年始、春季、夏季の休館日あり |
| 入館料 | : | 一般400円/学生300円/小学生200円 |
開館日などはHPなどで確認の上お出かけください
http://www.miyagikai.gr.jp/
プロフィール 千葉優子さん
東京都出身。武蔵野音楽大学大学院修士課程終了。音楽学専攻(日本音楽、民俗音楽)。現在、宮城道雄記念館資料室室長。慶応義塾大学、青山学院大学ほかで講師を務めている。
著書に『筝曲の歴史入門』(音楽之友社)、『日本音楽がわかる本』(音楽之友社)、『音楽はじめて物語』(音楽之友社、共著)、『音に生きる 宮城道雄伝』(講談社、共著)、『宮城道雄音楽作品目録』(宮城道雄記念館、共著)がある他、論文も多数発表している。
2007年12月には「ドレミを選んだ日本人」で、東西文化の交流に関わる論文・著書・翻訳から、過去2年間に発表された作品に与えられるヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞した。
「ドレミを選んだ日本人」千葉優子 著
ISBN978-4-276-21257-2






